代表 砂山からのメッセージ

代表 砂山

スタッフの募集のページを訪れてくれたあなたに感謝します。

私は、ゆう建築設計代表の砂山です。

私たちの活動はこのホームページを見ていただければ、大体 わかっていただけると思います。でもそこには現れていない、 私たちの建築にかける情熱について少し説明します。

長いですが、是非読んでください。

ゆう建築設計に私たちが求めるもの 私たちの使命

1981年ゆう建築設計事務所は砂山と衛藤によって設立されました。二人とも、京都大学工学部建築学科増田友也研究室の出身です。増田先生は建築の空間に関する研究の第一人者であると同時に、建築の作品にも多くの実績を残されました。私たちはその研究室で増田先生の元にスタッフとして参加し、その建築に対する考え方を学びました。全身全霊を込めて建築に対峙し、真摯に設計に取り組む姿勢を学びました。

砂山はその後ベルギー建築学校への留学、明石工業高等専門学校の助手を経て、増田研究室の先輩が主宰する、設計事務所に勤務します。衛藤は卒業後同じ設計事務所に勤務します。

建築を志すものにとっては、自分の意思で建築を作っていくことが目標になります。そのために私たちも、自分たちの手で建築を作ろうと砂山が31歳、衛藤が30歳の時に独立しました。特に決まった仕事があったわけではなく、まず自分たちで自立して、建築をしていこうという意志があっただけでした。

当時、建築を志すものは自分の事務所を持ち、自分の建築を作ることを目標としていました。その多くは、食べていけることは大事な事ではなく、建築をやっていることだけで満足で、貧乏をすることはあまり苦にしていなかったと思います。特に多くのスター建築家を輩出した時代で、建築にかかわるものは、そのような建築家像を描いて、建築に立ち向かっていました。

私たちは、自分の能力、社会状況の変化を考え、個人で立ち向かうのではなく、建築家の集団として社会に立ち向かい、評価を得、仕事を得、建築を社会に提供していくことを目標としました。

当時の私たち二人には、仕事を始めた京都に何のつながりもなく、仕事の入ってくるルートというものもまったくありませんでした。あったのは、私たちは誰にも負けない建築への情熱を持っているという自負と、仕事を頼んでくれる方へ、誰にも負けないものを提供できるという自信だけでした。そのためには24時間、365日建築のことを考え、施主のことを考える毎日を過ごしました。それは私たちにとって、苦しいことではなく、楽しいことでした。建築を行っていることは私たちにとって、すばらしい時間をすごしていることだったのです

仕事が増えるから人を増やすのではなく、研究室の後輩や大学の同級生が教授をしている学校からの紹介などによって、やる気のある人がいる時はどんどん会社に入ってもらいました。建築を志す人たちを集め、社会にすばらしい建築を提供することが私たちの使命でした。世の中にはなんと投げやりで作られた建物が多いのでしょうか。私たちは、真剣で真摯に建築に立ち向かうことが使命と考えてきました

私たちは自分たちの才能に自信を持っていました。しかし建築の特殊なところは、出来上がった作品を買ってもらうことではありません。画家や彫刻家は自分の信じる作品を作り、それが売れなくても、作品を制作できた喜びを持つことができます。ところが建築家はまず作品を作ってから、買い手を捜すのではなく、作る前に買い手を捜さなければいけません。では買い手は何を買うのでしょうか。それは建築家の全人格を買うのです。その人を信用して、何千万、何億という買い物をするのです。その買い手が一生に一回の買い物である、住宅の設計を任すのです。工場や、商店や病院など、その事業主の全人生をかけた買い物、又そこで働く人たちの全人生がかかっている買い物を、その建築家の才能という、形のないものにかけるのです。

私たち売り手は、自分の才能を、人格を評価してもらうことから、すべてがスタートするのです。特になんらの地縁も血縁もなく、自分の建築を作りたいという希望と野心をもった若者には、まず踏み出す勇気と将来のことを恐れない楽観的な心さえあれば、独立して、自分の建築、自分の施主を探し出すことはなんらおそれることではありませんでした。

私たちが勤務していた設計事務所も、増田研究室の先輩が作っていた会社でしたが、給料は低く、遅配することもよくありました。

私たちは貧乏は恐れませんでしたが、自分たちの能力を正当に評価してもらい、それに見合った報酬を得ることも真剣に考えなければいけないと思いました。好きな建築ができるから、お金が入らなくてもいいという風には考えませんでした。むしろ、社会に評価されるにはどのようにすればよいか真剣に検討しました。

建築を単にデザインの問題として捉えるのではなく、建築主とともに、与条件を精査し、企画を考えるノウハウを身につけました。建築企画という分野で日本一のノウハウをほこるようになりました。

現在は医療福祉のノウハウを生かして、病院や福祉施設の設計を多くやっています。そのレベルは日本のなかで、トップクラスです。

このようなノウハウを身につけることによって、仕事を得てきましたが、コンサル全般の会社にはしませんでした。あくまでも建築にかかわるコンサルを行ってきました。

それは建築を作るという共通の夢を持った人たちの集まりでありたかったからです。

建築家を育てるということ。

この二十数年の間に多くの建築を志す若者が、私たちの会社に入り、又去っていきました。私たちが入社をしてもらうかどうか決める時の判断基準は、その人の建築に対する情熱がどの程度のものかということと、形をつくる才能です。それといかに人と違った人生を歩んできたかも大きな要素となります。形に対する感覚というものはある程度持って生まれたものであると同時に、大学時代に開発されたものでもあります。建築的な雰囲気のなかで、長い時間すごすことは建築家になろうとする人にとって重要です。大学で設計をみっちりやらなくても、建築学科にいる時間が長ければ長いほど有効です。ゆう設計の社員の多くが大学院卒なのはそのためです。

人と違った人生を歩んできた人がなぜ建築家に向いているのでしょうか。

私たちが仕事を受ける相手は、事業に成功した人がほとんどです。成功した人は多くは、常識人ではありません。又私たちより、才能に優れ、お金もあり、世界を駆け巡り、話題も豊富です。そのような人たちに信頼してもらうには、どうすればよいのでしょうか。同じ土俵では勝てません。建築の世界では勝てると思いがちですが、計画を練るということでは、一流の発想をする人が建築計画の発想でも優れている場合が良くあります。絶対勝たなければいけないのは、建築に対する熱き情熱です。だから私たちは建築の好きな人を入社の第一条件にしています。

それと施主と対等に立ち向かうには、建築家には施主が持っていない優れた面や生き様が必要です。それは何でも良いのです。そういう意味で、私たちは入社を希望する人たちの生き様に非常に興味を覚えます。今いる人たちの中にも、大学に入る前高校卒後3年間無職であった時代を持っている人や、大学院卒後、5年間就職せず自由に生活していた人などもいます。このような人たちは学生時代の作品で入社を決めたのではなく、その生き様で決めました。

建築家になることに、技術の習得は重要ですが、それ以上にその人の全人格が、他人から信頼されることになることが肝心です。私たちは入社した人に、建築への情熱を持つこと、自分の才能を信じて伸ばすこと、他人に誇れる分野を持つことを要求し、そのためにはあらゆることを受け入れる用意があると宣言してきました。

このような方針のもと、多くの若者が建築家として育っていきました。

仕事をするということ。

私たちの仕事は大きく分けて、企画、基本設計、実施設計、現場監理、メンテナンスと分類されます。ゆう建築設計には営業の担当者はいません。建築家が、その才能において、施主から信頼を受け仕事を受託するという考えから、すべて建築家がその任に当たります。

建築設計の仕事は特に私ども企画からスタートする会社の場合、広がりの幅は大きく、一人前になるには最低5,6年の時間がかかります。この一人前という言葉が又微妙で、技術的には未熟でも、その情熱によって、施主から信頼を受ける場合もあります。個人事務所ではその未熟さが、問題となりますが、私どもの規模になれば、社内的なチェックが働きますから、様々な施主に対して、最適と思われる体制で臨むことが可能となります。

担当となったものは、その全人格をかけて施主に対応することになります。住宅を作る方は、その方の最大の支出をされるのですし、その方の人生をかけているといっても良いでしょう。それに対して、私たちは自分たちの持っている最大限の物を提供する義務があります。担当者が作る建築にかけてくれた施主の気持ちに報いる義務と喜びがあります。担当するものにとっては自分の建築を実現できる喜びがあります。それではチームの一員として、仕事をす人たちの気持ちはどのようなものでしょうか。スター建築家のアトリエ事務所では、その絶対的な権威を持った建築家の思うままに進み、チームの人たちはその建築家の考え方を学ぶことが重要な要素であり、またそれが喜びでした。

ところが、現代の建築は、より複雑になり、常にチームで仕事をすることが要求されています。伝統的な建築家像は変わってきているといってよいでしょう。計画のトップに立つのが、建築家ではなくプロジェクトマネージャーという場合も増えてきています。しかし、形を決めるのは建築家であり、最終的にはどんなに大きな計画でも一人の建築家になります。このようなチームの中で物を作る喜びを共有し、まかされた部分に才能を発揮することが要求されます。細分化する作業の中で、全体を統括し、形を見つけ出していくには、今まで以上に長い時間と優れた才能、更にあふれる情熱が求められてきています。全体を統括する建築家になるには、私たちが、建築を始めたころより、より幅の広い人格を求められているのです

私たちは全社員にこのような建築家像を求めています。それに共感した人が、いっしょに仕事をしています

建築家になり、仕事の依頼を受けるということは、そのすべての時間を施主にささげることです。もともと建築家はパトロンがいて成り立っていました。パトロンにその才能を愛されることから、建築がスタートし、その代わり建築家はその才能のすべてをパトロンにささげたのです

建築家を目指すものは、そのすべての時間を建築にささげることからはじめなければ、到底仕事を依頼されるところまでいかないでしょう。

建築を作ることは実は苦しいことなのです。自分の才能を人に見せることになります。そんなにすばらしいものが常に考え付くとはかぎりません。ましてやそれが形となって、世の中に出て行く事は、実はすごく恥ずかしいことなのです。特に若い人にとっては、すばらしい経験であると同時に、決心のいることです。それを後押しし、実現してあげることが新しい建築家を育てていくことになります

これまで私たちは、採算を度外視して、若手の社員に時間を与え、もっとスケッチをしろ、まだだめだといい、その人の限界まで力を出させて、建物を作る機会を与えてきました。24時間その建物のことを考えることを要求してきました。会社にいる時も、家にいる時も、寝ている時も、その建物のことを考えていてほしいというのが私たちの気持ちです。これまで、すべての人が与えられた機会を自分の物にしようと、必死で立ち向かってくれました。そこで自信を得て独立していったものもいますし、そのような考え方が合わなくてやめて行ったものもいるかもしれません。いずれにしろ、これが私たちの企業の姿勢であり、この二十数年追い求めてきたものなのです。

新たなスタート

2007年4月、私たちは新たなスタートを切ります。

この数年建築家に対する、社会の要求は急速に高まってきました。これまで建設業界は、建築を立てようとする人を、素人としあつかい、建築のことは建設業に玄人に任せておけという態度できました。私たちは、早くからそのような体質のもつ問題点を変えるべく戦ってきました。コストのわかりにくさ、建築の質の確保など、私たち建築を専門にするものにとっても、わかりにくい仕組みと戦ってきました。日本で始めて設計段階のVEをおこない、コストに切り込みました。建築計画を、建築企画という言葉を作り、一つの分野として独立させました。建築企画という言葉を最初に使ったのは、私たちです。

そのような中で、より高い建築の質、より高いコストの透明性、より高い社会性を建築に求める時代になりました。

私たちの求めていた建築の時代です。

私たちは、1981年から持ち続けている、建築に対する熱き情熱を、さらに燃やし、すべての時間を建築にささげていきます。

この長い文章を読んでいただいた、あなたどのように思われましたか。

興味のある方は是非連絡をください。

私は58歳です。施主の要求に真剣に対峙できるのはあと10年でしょう。私は建築的にはあと10年で終わるつもりです。古い知識や昔とった杵柄でなどと言う感じで建築には立ち向かうつもりはありません。新しいものを、よいものを、厳しく追及していきます。その同士を探しています。

この10年はゆう設計は面白いですよ。私の10年、30代の若者は無限広がるスタートの10年、建築を通して世の中に私たちの情熱をぶつけていくのです。そこに何が出てくるか楽しみで、わくわくしています。

スタッフ紹介を見てもらいましたか。皆すばらしい人たちです。ぜひ参加してください。建築でも企画でも、一緒にやりましょう

連絡は私へメールをください。

ある方の思い出です。

私が40歳代前半の頃、巨大なプロジェクトを実行する機会にめぐり合いました。施主の方は25歳年上でした。。

打ち合わせは、午後の4時ごろから始まり、短くて8時間、長くて12時間続きました。それも殆ど私とその方の二人の打ち合わせでした。打ち合わせと言っても、その方が一方的に話し、私はその話を聞き続けました。話の内容は、建てようとする建築の話は一切無く、ローマ時代から始まり、現代に至るまで、あらゆる戦いの話、工夫された武器の話、など、人間の優れた才能が、普通の方が考えつかないものをいかに作り出したかということでした。

更に経営の事、儲けるという事、人を使うという事など、あらゆる分野に渡りました。

その方は8時間しゃべり続ける、知識と能力と情熱と体力を持っていました。私はうなづき、返事をするだけでしたが、8時間緊張し、全ての私の知力を使って対抗しました。その打ち合わせが終わって、暗い京都の街中を家に向う時の虚脱感は、今でも体の中に残っています。

いつ呼び出しがあるかわからないので、その数年間は、4時以降の約束は一切せず、常に待機状態でした

そのような状態が半年ほど続き、その方はこれから、君の建築の常識をすべて壊すために、建物を一件建てようとおっしゃいました。目的のプロジェクトの計画にかかる前に、全く関係の無い建物を作ろうとされたのです。私を鍛えなおすために

二人で相談しながらかなり大きい建築の設計をし、実際に建物を建てました。木造の和風の建物でした。純粋な和風は費用が高いです、と答えた私の建築的常識、それを壊すことによって、私のすべての建築的常識を壊そうとしたのです

茶室はなぜ銘木と呼ばれる柱や土壁でなければいけないのか。高い値段の柱も無く、土壁も無くても素晴らしい茶室ができることを、その方は私に実際に作らせてわからせようとしたのです。そのためだけにお金をかけたのです。

これから始まる巨大プロジェクトの建築責任者になるであろう、わたしにその方が一年以上かけてやろうとしたのは、私の建築的な常識をぶち壊すことでした。今までこういわれていたからとか、みなが良いといっているからとか、そのようなものは全て捨て去るように私を鍛えなおしたのです
その建物が建て終わった時、その方はおっしゃいました。

プロジェクトは君の思うようにしなさい。

プロジェクトが始まっても打ち合わせは続きました。
あるとき、そうしていいんですね、と私が念をおしたとき、手に持たれていたライターが私に飛んできました。
あくる日、その方が語りかけてくれるまで、ジーとその横に私は座り続けていました

建築家というイメージは何となく華やかなものを感じられるかも知れませんが、私達は私達の才能を買ってくれるかたと出会えるかに全てがかかっています。

才能を買ってくれる方のためには、自分の全てをなげうって尽くす覚悟がいります。
毎日の戦いの中に、信頼を見つけ出していくしかありません。厳しい、厳しい戦いでした
私を探し出し、作り直し、育ててくださった方を、今日見送りました。
写真のなかのその方は、力強い笑顔で私を見ていました。

株式会社ゆう建築設計
代表取締役砂山憲一
Mail : sunayama@eusekkei.co.jp